眠れない夜の心理学 子どもを守るために

境界・感情・愛着・トラウマティックストレス・うつ・アディクション、認知行動療法…… 眠れない夜に綴ります。

感情①子どもの感情の社会化

これをしていると楽しい、ここにいると安心する、あの人のそばにいるとイライラする…感情は、自分にとってその状況がどういうものかを教えてくれます。

 

たとえば、「怖い」という感情、「怒り」という感情がなかったら…私たちは危険な状況、理不尽な状況から身を守れない。どんな感情もシグナルの役割を果たすものです。

 

そして、私たちは感情を身体感覚として体験します。楽しいと体が軽く、エネルギーがめぐっている感じがします。

 

安心している時には、呼吸は深く、身体のどこにも変な力が入っていません。

 

逆に落ち着かない時には胸のあたりがモヤモヤざわざわしますし、悲しい時には、みぞおちが硬くなって涙が出てきます。

 

感情は自己防衛と生命維持のために身体に備わった機能です。生まれたばかりの子どもは、本能的な欲求が満たされない時、泣いて不快を表現し、欲求を満たして!と養育者にメッセージを送ります。

 

そして、本能的欲求が満たれると微笑んで快を表現します。そういった基本的な欲求を保護するための即時的な体験(原始情動)が感情の基盤にあります。

 

もともと身体感覚として生じる感情は、成長とともに言葉に置き換えられていきます。

 

ただ体を使って、衝動的に(笑う、飛び跳ねる、泣く、叫ぶ、叩くなど)感情を表現していた子どもが、次第に自分の気持ちを言葉で表現するようになるためには、養育者をはじめとする周囲の大人が、子どもの感情を察知し、子どもに働きかける必要があります。

 

「がっかりしてるんだよね」「悔しいんだよね」「怒ってるんだよね」「うれしいねえ」「どんな気持ち?言ってみて」という大人の積極的な働きかけによって、子どもはどのような身体感覚や行為がどのような感情の言葉と結びついているのかを学習していきます。

 

自分の気持ちに名前がつくと、子どもはそれを言葉で表現できるようになります。他者の感情を推し量ったり、気遣いをする感情も育っていくのです。

 

それが子どもの感情の社会化のプロセスです。

 

そして、子どもは、だんだんと使える語彙が増えて、喜怒哀楽を多様な言葉で表現できるようになっていきます。

 

子どもは周囲の大人が、感情をどのように表現しているかを見て、そこからも学んでいきます。

 

大人が率直に自分の気持ちをどのような言葉で表現しているかを見て学び、言葉では表現されない感情も、大人の表情や態度、声の調子などから読み取って、自分のものにしていくのです。

 

もし、子どもの周りにいる大人が、自分の感情を言葉にすることがなければ、子どもは自分の感情を言葉で表現することを学べなくなります。

 

自分の感情を表現した時の大人の反応によって、「この気持ちは持ってはいけない」「この気持ちは表に出してはいけない」と学べば、日々の生活のなかで湧き起こってくる自分の感情に、対処することは難しくなります。

 

また、大人が自分のネガティブな気持ちを暴力で表現しているのを見て育った子どもは、暴力で問題を解決することを学んでしまいます。

 

自分の感情、特にネガティブな感情に対処するのは難しいと感じる人は多いものです。ネガティブな感情と付き合うのが難しいのはなぜでしょう?

 

その理由のひとつは、私たちが育つ中で学習した社会の価値観です。日本社会には感情を出さないことをよしとする文化があります。

 

喜怒哀楽をあからさまに表現しない、怒りや悲しみといったネガティブな感情を表に出さず耐え忍ぶことを美徳とする文化です。

 

私たちは小さな頃から「そんな風に感じてはいけません」「人を嫌ってはいけません」「怖くない怖くない」と言われて育ちます。感情については「ダメダメ教育」を受けてきたのです。

 

だから、「ネガティブな気持ちとはこう付き合いましょう」「腹が立った時にはこうしましょう」「嫌いな人とはこういうふうに付き合いましょう」と教えられる機会は少ないでしょう。

 

つまり、ネガティブな感情を適切に表現し、コミュニケーションをするスキルを身につける教育がないのです。

 

そして、喜んでいたら「調子に乗っちゃだめ」「天狗になってる」と言われるなど、ポジティブな感情も表現しないようにと言われることもあります。

 

自分の感情をそのまま受けとめて、人に対して適切に表現していくことは誰にとっても難しいのです。

 

また、感情に対する価値判断と「らしさ」の問題にはかかわりがあります。

 

「女は感情的」で「男は理性的」という言葉があります。これは事実ではないのですが、そう考えている人は少なくないでしょう。そして、男女それぞれに感じていることを肯定できない感情が存在します。

 

たとえば、男性にとって自分が何かを「怖れ」ていることは、自分にも周囲にも隠したい感情でしょう。

 

怖れの感情を払拭し、「いくじなし」と言われないように、自分の「男らしさ」を証明するために、感情を出さないでいたり、逆に攻撃的になることはよくみられる行動です。

 

女性にとっては「怒り」がその種の感情かも知れません。

 

私たちの社会では、女性と男性が同じように怒っていても、「らしさ」のフィルターを通すことで、「感情的な女性」「怖い女性」という否定的な評価を受けることがまだまだありますし、女性もそういう自己評価をしがちだからです。

 

感情は生命維持のために身体に備わった機能であり、状況に対する生体の反応です。「そんな感情を持つのは男性(女性)らしくない」という価値観によって、生じたり生じなかったりするのものではないのです。

 

「こうあるべき」という価値観に縛られれば縛られるほど、感じたままを受けとめ、うまく表現していくことは難しくなります。